海賊と呼ばれた男はなぜ海賊と?実話のモデルはどんな人?名言も!

とっぷ

目次

『海賊と呼ばれた男』は、2016年に映画化もされた、百田尚樹さんによる歴史経済小説で
2016年に岡田准一さん主演で、映画化もされました。

このお話しのモデルとなった、実話の人物は誰なのか?

なぜ、海賊と呼ばれたのか…

海賊と呼ばれた男の名言や、どんな人だったのかを調べてみました。


Sponsored Link

海賊と呼ばれた男の実話のモデルは誰?

モデル

百田尚樹さんの『海賊と呼ばれた男』は、第10回本屋大賞を受賞した、上下巻累計420万部突破のベストセラー作品です。

2016年には、岡田准一さん主演で映画化もされました。

岡田准一さん演じるくに岡岡鐵造は、本当にかっこ良かったですよね〜

 

その国岡鐵造は、誰がモデルなのか?
映画の内容から、簡単な確認をしましょう!

 

『海賊と呼ばれた男』
映画での簡単な内容は…

1945年の日本が舞台

当時、石炭が主要燃料だった時代に石油の将来性を見抜いた1人の男が

北九州の門司で石油業に乗り出すが、国内の販売業者や欧米の石油メジャーなど数々の壁に立ちふさがる。

しかし、それでも諦めず
型破りな発想と行動で、道を切り開いてゆく

やがて石油メジャーに敵視され、石油ルートまで封じられてしまうが、唯一保有する巨大タンカー『日承丸』を秘密裏にイランに派遣する大胆な行動に出た

それは、当時のイランを牛耳るイギリスを敵に回す行為だったが…

と言う内容でした。

このお話しに登場する主人公・国岡鐡造は実在する人物です。

 

モデルとなったのは
出光1
出光興産の創業者・出光佐三さんです!


Sponsored Link

海賊と呼ばれた男はなぜ海賊と呼ばれるのか?

なぜ

では、出光興産の創業者・出光佐三さんが
何故、海賊と呼ばれたのか?

簡単な内容からも読み取れますが

出光佐三さんは、戦後の日本が
これからどうなるのか?

と言う時に、日本の再建に向け国岡商店の店員と共に
問屋を介さず広範囲に直営店を展開する『大地域小売業』の大きな夢へと力を注ぎます。

九州の門司で石油の販売をしますが、元売りの日邦石油から与えられた地域以外では、石油の販売を禁止されていたのです。

 

そこで、色々と手段を考えたところ

海の上で油を販売すると言う手段に出るのです。

海の上で漁船を待ち構え油を販売する事で、『海賊』と呼ばれる様になったのです。

この大胆な発想の出光佐三とは、一体どんな人なのか?

海賊と呼ばれた男の実話のモデル・出光佐三はどんな人?

モデル

では出光佐三さんは、どんな人なのかを調べてみました!

 

出光佐三のプロフィールは

読み方/いでみつ さぞう
生年月日/1885年8月22日
出身地/福岡県宗像郡赤間村
別名/海賊
出身校/神戸高等商業学校
(現・神戸大学経済学部)

出光佐三さんは、福岡県宗像郡宗像市に藍問屋を営む家庭に誕生します。

神戸大学を卒業し、神戸の酒井商店(小麦粉や機械油等を扱う)の丁稚となりますが

25歳の時、資産家の口田重太郎氏の息子の家庭教師をした事で知り合います。

口田重太郎氏より、8,000円の大金を渡された出光佐三は、福岡県北九州門司区に出光商会を設立。

更に、口田氏はスポンサーとなるのです。

 

初期の頃は、日本石油の特約店とし機械油を扱っていましたが、本社へ出向いた時

東京では車の利用が広まっていると聞き、これからの時代は機械油では無く、燃料油だと直感するのです。

 

先ず、下関漁船を相手に海上油販売を軌道にのせます。

この時「上質油でなければ漁船のエンジンは動かない」との迷信を破り、軽油で船を動かしてみせるなどしチャレンジを繰り返します。

 

下関の港は当時、大手特約店が仕切る中の挑戦でした、「海に領域なんてあるか?」

と言って店の縄張りを荒らし『海賊』と呼ばれる様になります。

 

なんとか事業を軌道にのせた出光は、下関の日本石油の倉庫に売れ残っていた車軸油を安値で引き取り、満鉄に潤滑油として売り込みます。

1914年南満洲鉄道で車軸油を納入。

欧米の外油の方が良いと言う現地の人々の偏見を打ち破り、「悔しくはないのか」と満鉄の担当者を説得したのです。

 

関東大震災の翌年に、第一銀行から25万円の借しはがしを食らい、倒産が危ぶまれると言う時にも

二十三銀行が肩代わりをしてくれ生き延びました。

 

その後、門司商工会議所会頭に就任

貴族院議員にもなり、社会的地位を上げて1940年『出光興産株式会社』を設立。

 

そして敗戦を迎えます。

苦しい経営の中、従業員の首を一人も切らず大家族主義で事業再建に挑みます

 

石油の仕事は欧米のメジャーに占領される中、日本における「民族系」の石油会社として市場に割り込み

1950年代前半、出光興産は外資に頼らない石油製品の輸入に着手

1953年5月9日『日章丸二世』にイランの石油を積み、日本への輸入を試みます。
※日章丸事件

 

出光興産は、政府の命令による生産調整や石油業法に反対したり、石油連盟から脱退するなど、独自路線で発展、石油化学工業にも進出しました。

 

1966年出光興産社長を退き、会長になる。
社長には、長男・昭介氏が就任。

出光佐三は、その後86歳で『店主』となり1981年95歳大往生しました。

 

出光佐三さんのこれまでの業績をたどるだけでも分かりますが…

信念の人、そしてチャレンジ精神
社員を愛す大きな心の男

そして、人を惹きつける魅力の人と感じます!

海賊と呼ばれた男の名言は?

名言

これほどまでの大業を成し遂げて来た、出光佐三さんは、数々の名言を残しています!

 

出光佐三さんの、名言は・・

 

【奴隷になるな】

1,黄金の奴隷になるな
2,学問の奴隷になるな
3,法律、組織、機構の奴隷になるな
4,権力の奴隷になるな
5,数、理論の奴隷になるな
6,主義の奴隷になるな
7,モラルの奴隷になるな

 

道徳とは、人間の真心から出ている。こうすればお互い仲良くいく、ということを真心から考えるというのが、道徳だ。

道徳があって、はじめて世界の平和も人類の福祉もある。

 

人を育てるのに、手間暇を惜しむな

 

会社がいよいよ駄目になったら、みんなと一緒に乞食をするまでだ

 

金を軽んじても重んじてもいけない。

 

自分に薄く、その余力をもって人のために尽くせ。

 


【覚え書き|大卒の新入社員に語った言葉】

君らは3年か5年大学に行ったため自惚れすぎている。そして、人間が完成したように思っているが、人間と言うのは実に何も力はないのだ。

ここの会社に入ったならば、まず俺は大学を出た、卒業したと言う気持ちと卒業証書を捨てろと言う。

人間会社の人情の複雑な中に飛び込んで、その中で鍛えて鍛えて鍛え上げていくところに人間の偉さが出てくる。

苦労をすればするほど人間は完成に近づくのだ。

さすが海賊と呼ばれた男
すごい名言がたくさんありました!

海賊と呼ばれた男はなぜ海賊と?実話のモデルの最後に

海賊と呼ばれた男の、実話のモデルについて調べさせて頂きました。

出光佐三さんの実話がモデルとなった『海賊と呼ばれた男』が、百田尚樹さんの小説となり、更には映画化もされました。

この様な歴史を、小説や映画になって見られるのは嬉しいですよね?

出光佐三さんの名言は、どの言葉も胸にささる言葉ばかり…

映画『海賊と呼ばれた男』を、もう一度観たくなりました!

最後まで読んで頂き、有難うございます!


Sponsored Link

この記事もよく読まれています

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です